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| 赤倉観光ホテルは、昭和12年、日本の高原リゾートの草分け的存在として誕生しました。創業者は、当時帝国ホテル会長を務め、川奈ゴルフコース、上高地帝国ホテルをつくった大倉喜七郎です。 赤倉ゴルフコースが誕生したのは昭和38年(1963年)7月8日。9ホール/3232ヤード/パー36、設計は大成建設でした。オープン当初の1番ホールは、ホテルの目の前からスキーゲレンデを打ち下ろす豪快な507ヤードのロングホールでした。 |
| その後、昭和46年、名匠・井上誠一設計のもとで9ホールを追加するとともに既存の9ホールも改造して、18ホールのゴルフコースとしてオープンしました。 井上誠一は、霞ヶ関、大洗、鷹之台、龍ヶ崎、よみうり、など日本屈指のコースを設計した日本のゴルフコース設計の名匠です。 当時の井上氏の造成指示書には「Green周辺の自然地形および樹木、樹林を生かして出来るだけ自然環境に溶合した造形方法を採ること。」と書かれており、自然美を最優先したコース設計思想がうかがえます。 |
| その後、昭和53年(1978年)に発生した土石流により6ホールが崩壊したため、しばらく12ホールでの営業が続いた後、昭和59年に18ホールが復旧再開しました。 復旧工事には、井上設計の多くを手がけた大成建設の担当者(岡田和男)やオリジナルコース造成時のスタッフが参加し、「自然の地形を極力残し、無闇にバンカーなどで区切ったりしてはいけない。コースの法面をやむ得ず造成する場合は女性の体の線を描くようにしなさい」といわれた井上スタイルが踏襲されました。 井上誠一設計が原型のまま残っているホールは、4、5、6、7、14、15番の6ホールです。 4番は、広いフェアウェイに木がせり出し、狙いのむずかしい砲台グリーンの配置など井上誠一設計の特徴が最も出ているホールのひとつです。 5番、打ち下ろしのショートホールも井上誠一の「地形を生かした戦略性」という設計思想がよくわかるホールです。 「距離があって難しいのはもちろんですが、大胆さや決断力、勇気、緻密さ、冷静な判断など、ゴルフに求められる全ての資質が問われます。いわば人間力が試されるのです。いつ訪れても何度プレーしても飽きることがないコース」といわれます。 |
| 井上誠一(1908〜1981年) 東京都出身のゴルフ場設計家。東京ゴルフ倶楽部朝霞コース設計のため来日した芙国の設計家、チャールズ・H・アリソンに接したことで設計家の道に入る。 日本を代表する設計家で「大洗ゴルフ倶楽部」(茨城県)「龍ケ崎カントリー倶楽部」(茨城県)など数多くの名コースを造った。 その土地の自然を生かした美しく、そしてあらゆるレベルのゴルファーが楽しめる戦略性の高さを持ったコースを造り出すゴルフコース設計の名匠です。 |
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焼失前の旧赤倉観光ホテルのロビー
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井上誠一 造形指示書
(クリックすると拡大してご覧いただけます) |
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